数学の解法暗記はダメなのか
数学の解法暗記ってダメなの?
数学の勉強の仕方について話していると、よく生徒とそういう話になります。
ここでいう解法暗記というのは、数学の問題演習をするときに、細かい論理は置いておいてとりあえず解答を暗記していこうぜという姿勢だと思ってください。
生徒によっては、数学は解法暗記でいけるのでは!?と意識して実践している子と、無意識で数学を解法暗記で乗り切ろうとしている子とさまざまです。
で、結論として、私はその疑問になんて答えるか。
それは、「人と時によって異なる」というのが私の回答です。
なんて歯切れの悪い!と思われた方、ごめんなさい笑
もう少しそれっぽく言うならば、「解法暗記も大事」ということ。解法暗記だけではダメだし、解法暗記を真っ向から否定しているわけでもないのです。
なぜそういった結論になるのかを説明したいと思います。
まず、解法暗記がダメなのかどうか、人と時によって異なる理由から。
人によって思考の癖が違うので、機械的に解法をすぐに覚えようとする人には解法暗記に頼るなと言うし、論理的に考えすぎて前に進まない子には解法暗記をしていけと伝えています。
これは高校生になる前の段階で、算数や数学にどのように接してきたかで決まるように思います。
数学や算数を機械的な処理として意味を考えられていない子は、高校数学も解法暗記で乗り切ろうとしがちです。しかし、多くの高校生にとっては高校数学は難しい上に問題のバリエーションも豊富。
そのため、中学以前は解法暗記で乗り切れた人も高校数学からはその難しさと量に圧倒されて処理しきれなくなり、解法暗記しきれなくなってしまいます(解法暗記できるほどの量を積めていないという見方もできますが)
その時に、数学の解法を理屈で理解していくことを意識してもらい、知識に繋がりを持たせてなるべく少ない知識で数学の解法を習得してもらいます。
しかし、高校数学は多くの高校生にとって難しいですし、勉強していてもなかなか理解できなくて苦しんでいる子が多いのも事実です。しかも、多くの子の望みは数学を理解することよりもテストで点数を取ること。
そのため、解法暗記に頼らず論理的に理解することを推奨している子でも、テスト前など時間がない場合やその時のその子にとっては論理的に理解するのがあまりにも難しい場合には、解法暗記をしてしまおうと指導しています。
ですが、このように伝えた子たちも最終的に、先に進んでいくと数学に慣れてきてその考え方を受容できる瞬間がやってきます。その時に、「あれは実はこういう意味があったんだよ」と論理的に考えて分かるように指導しています。
逆に、数学の解法暗記に頼れと言うケースは、考えすぎて前に進まないタイプの人によくあります。そういった子は自分が納得して理解することが数学だと思っている節があり、そのこと自体は学問を追求するという意味では良いように思います。
しかし、自分の知識や理解力が追いついてない時にその姿勢で勉強していくと、中学よりも進度の早い高校の授業に一気に置いてかれます。
そうなってしまうと、分からないことがどんどん積み重なって余計に前に進まなくなってしまうので、そういった子には解法暗記をせよと伝えています。
とはいえ、たとえそういった子が解法暗記をしたとしても、元が論理的に考えて思考するタイプなので、脳のどこかで何か論理性がないかを探っていることが多いです。そのため、解法暗記とはいっても、一時的に知識としてストックはしますが、その後にこれはこういうことだったんだと理解していることが多いです。
このように、人と場合によって解法暗記を意識すべき時とそうでない時があります。
この判断は非常に難しいので、高校数学の全体像が見えていて、かつ、自分のことをよく知っている塾や学校の先生に聞くのが良いです。
で、さっきの話に戻ると、結局、解法暗記がダメと一刀両断してもいけないし、解法暗記さえすればOKというわけでもないのです。
要は、そのバランスが大事。
だから、「解法暗記も大事」ということなんです。
どうしても、コスパ、タイパという言葉が流行っているように、究極的に効率の良い1つのやり方があると思ってしまいがちなのですが、そうではなく適切な場面で適切な勉強法をしていくことが大事なのです。その一部として解法暗記があると思ってください。
なので、解法暗記が一概に悪いわけでも良いわけでもありません。
今の自分に必要な考え方を取り入れていきましょう。