受験生の99%は知らない 参考書ルートの落とし穴
参考書ルートの存在って受験生にとってはかなりありがたい。
受かった人がやっていた参考書をやれば自分も受かるのでは?
シンプルかつ明快な考えで、自分が何をしていくべきかの道標になる。
だから、多くの受験生は自分が何の参考書をやったらいいんだろうかと調べた経験はあるはずだ。
おそらく、自分が受験生に戻ったら今の受験生同様にネットで調べると思う。
でも、そういった受験生が99%は知らないと断言してもいいようなことがある。
それが、
「参考書ルートも大事だが、それ以上にその参考書を誰がどうやるかの方が大事」
だということ。
つまり、参考書ルートそのものよりも、その参考書ルートを「誰が」「どのように」やったかの方が重要なのだ。
ここでたとえ話。
仮に大谷翔平の幼少期から現在に至るまでのすべての練習メニューが全世界に公開されていたとしよう。いわば、野球界の最強の参考書ルートと言えるものだ。
その練習メニューをみんながやった時に、大谷翔平ほどの逸材が生まれるだろうか?
おそらく答えはノーだ。
理由は2つある。
1つは、その練習メニューを行ったから大谷翔平になれたのではなく、そもそも大谷翔平だからその練習メニューをこなせた可能性が高いからだ。
高校3年生の時にプロでもほとんどの人が投げれない160kmのボールを10球投げるという練習メニューがあった時に、それって普通に無理じゃない?という話。
大谷翔平が幼少期にどんなことをしていたのかは知らないが、赤ちゃんの頃まで遡ってもおそらくそう言った話ばかりなんじゃないかと思う。
結局、野球の才能があるかないかと同様に、勉強が得意な人とそうでない人との才能の差はある。
(もちろん、その才能がすべてではなく、才能×努力=結果であることには間違いないが)
元から才能がある人だからこそできる練習メニューであり、その練習メニューをこなすことで、さらに才能が開花してよりレベルの高い練習ができる。そういうサイクルを回っているわけだ。
だから、凡人がその練習メニューをやろうと思ってもこなせない可能性が高いのである。
もう一つ、仮に大谷翔平と同じ練習メニューをこなせる才能を持ち合わせていたとしても、大谷翔平が考えていたのと同じレベルで練習の動作の仕方や質を意識できていないとだめなのだ。
たとえば、ただランニングを10周するにしても、なんとなく走るのと、タイムを気にしながら走るのでは体にかかる負荷が違う。
また、走り方を気にせずに走るのと、フォームを気にしながら走る人では、実際の試合でのパフォーマンスも違うだろう。
それと同様に、参考書も使う人が何を意識するかによって当然その後の仕上がりも変わってくる。
よく「参考書を何周もしているけど、成績が上がらない」という人がいるが、それは大体の場合やり方が間違っていることが多い。
ランニングを10周するのにゆっくり走って10周するのと、タイムを競って10周するのを同じにしていいのかって話だ。
結論、参考書ルートを参考に自分が何をやっていくか調べるのは別に悪いことじゃない。でも、それがすべてだとは思わないでほしい。
どういった人がどのようにやっていたのか分からなければ、それは自分が得たい結果を得ることができないのである。