生徒から「なんで?」が出てくる空間を大事にしたい
昨日の物理の授業で光の屈折の問題をやっていました。
やっていたのはシャボン玉がなぜ色付くのかを考える問題。
物理ではよくある典型的な問題です。
そんな問題をやっていた生徒から、「虹ってなんで丸いんですか?🌈」という質問が飛んできた。
おそらく、
シャボン玉が色づいている
↓
虹と同じような感じだ
↓
そういえば虹ってなんで丸いの?
という疑問に至ったのだろう。
虹がなぜ虹色に見えるのかみたいな説明はこれまでたくさんしてきた。だが、「虹が丸いのはなぜ?」という質問は初めて受けたし考えたこともなかった。(先生ならそれくらい知っておけという話かもしれませんが笑)
いやーわからんなーと思いつつ、せっかくの機会なので、生徒と一緒に考えてみることに。
高校の物理の知識を使って、こうなんじゃないかという仮説を立て、ネットで検索をかけて検証をしてみた。
結果として観測者と太陽の位置が重要で、それによって丸くなって見えるらしい。
細かい説明は省きます笑
そうやって、生徒と調べながらあれこれ談義をしていて、これこそ本来あるべき学びの姿だなとしみじみ感じた。
おそらく、虹という現象は古代からずっとあって、「なんで虹は丸いのか?」というのを疑問に思った人が仮説を立て、実験を行い、おそらくこうなんじゃないか?という理論を打ち立てたはず。
そうやって簡単ながらも昔やった人の後追いをし、仮説を立ててその説の確からしさを検証するという過程は、学問を追求する姿勢そのものだなと。学者ではないので偉そうなことはあまり言えませんが笑
もちろん、こういった興味関心だけで学習が成り立つわけではない。基礎的なことを反復して叩き込むみたいな、いわゆる「勉強」(勉を強いる的な)も必要だ。
そもそも光の屈折を知ったからこそ、こういった疑問が湧き、さらには考えることができた。
光の屈折の問題を解いて理解していなければ、多分、疑問は持つことはできても自分で納得することは難しいはず。
だから、その両輪をうまく回していきながら、進められるようになると、自分で考えられる範囲が広がって、どんどん先に進んでいけるんだろうなと思う。